-合気について―
第5回
合気の起源について
合気はいつ生まれたのか?偶然に発見されたのか? 必然的に生まれたものなのか?いつの時代に現れ、出てきたものか?いまだに、はっきりした事が解らないのである。
幻の合気を求めて、数十年も修業し続けて亡くなられた人々が、どれほど多く居た事か……今、私達が先人から受け継いだ合気と言われているこの技、又は術は本当に正しいのか?使うことが出来るのか? 使ってはいけないのか?何が本当なのか?もし正しい合気であれば、誰に伝え残すか?
一生懸命に修業し続けた人が、もし発見出来たとしたら、それはもう、偶然では無いのです。必然的なものと思います。
人は力の強い人、弱い人、
体重の軽い人、重い人、
手足の長い人、短い人、
手の大きい人、小さい人、
気の長い人、短い人、
若い人、歳をとった人……
色々様々です。
これらの人々の中で、最も最弱の人々のために発見された技であり、術に研ぎ澄まされたものが合気と言われているのではないだろうか?
今も昔もだいたい全てに勝る人が、小さい弱い人に指導しているのが現状である。
自分の力で相手に技を掛れられれば、技として通用するかも知れないが、術では無いのである。人は、若い時には、スピード、タイミング、条件反射など、すばらしいものを身体に備えていますが、人は年齢を重ねると、これら全てが衰えて、歩くのがやっとになります。老人になると、大抵の人々は弱くなります。
若い時に、会得した合気(?)は年老いたらどうなりますか?人間は己自身を見つめ直す時が、必ずやって来るのです。自分自身に素直になれた時に、合気という幻に気がつくと思う。但し、修業し続けている人々に限ります。剣道、柔道、合気道、空手道、柔術に全て平等に現れてくると思います。修業し続けた結果現れるのであれば必然でなければならないはずです。
合気は、時代の新しい古いで論ずるものでは無いと思う次第です。
つづく